目黒代表が「クラスター爆弾禁止条約締約国国際会議」に参加
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2010年11月6日~12日 ラオスの首都ビエンチャンにて111カ国の参加
朝日新聞ほか2社の記者も同行したので、詳細は期間中、国際面に掲載されてますので読んで下さいね
■ 義足
■ 親爆弾から子爆弾が落下・クラスター爆弾
■ メコン川
■ サバイバー(犠牲者) と共に
■ 各国政府団入場の前で
■ 会議開催直前
2010/11/16
2010/07/25
市村みさ希さん 腎移植1周年記念の会 2010・6・26(土)
会の出演者 市村みさ希ちゃんは生後間もなく腎臓疾患があることがわかり
以来、21年間闘病生活を送ってきました。
7回目の「母なる樹」は透析を受けながら稽古を続け、
本番一ヵ月後に おかあさん市村ちか子さんからの
腎臓を移植するというトンネルをくぐってきました。
彼女のブログには、手術前後の凄まじい記録が綴られています。
今年6月17日で一周年を迎えたので ささやかですが、仲間が集う企画を立てました。
新型インフルにも負けず ずっと順調でしたが、この集い一週間前に容体が急変!
緊急入院で、ひや~っとしましたが、無事に開催でき ありがとう♪でした。
若枝教会集合!
みさ希ちゃんの祖父・俳優 常田富士男さん宅を訪問
噂には聞いていましたが、「日本昔話」の舞台にそのまま使える おうち に皆感激!!
みさ希ちゃんのおかあさん ちか子さんが修行中のインド料理「ラブル」で食事会。
おおいに盛り上がりました~。パチパチパチ・・・。
主役のお二人とオーナーが 後ろで小さくなってしまって申し訳ない!
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以来、21年間闘病生活を送ってきました。
7回目の「母なる樹」は透析を受けながら稽古を続け、
本番一ヵ月後に おかあさん市村ちか子さんからの
腎臓を移植するというトンネルをくぐってきました。
彼女のブログには、手術前後の凄まじい記録が綴られています。
今年6月17日で一周年を迎えたので ささやかですが、仲間が集う企画を立てました。
新型インフルにも負けず ずっと順調でしたが、この集い一週間前に容体が急変!
緊急入院で、ひや~っとしましたが、無事に開催でき ありがとう♪でした。
若枝教会集合!
みさ希ちゃんの祖父・俳優 常田富士男さん宅を訪問
噂には聞いていましたが、「日本昔話」の舞台にそのまま使える おうち に皆感激!!
みさ希ちゃんのおかあさん ちか子さんが修行中のインド料理「ラブル」で食事会。
おおいに盛り上がりました~。パチパチパチ・・・。
主役のお二人とオーナーが 後ろで小さくなってしまって申し訳ない!
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ラベル:
ご報告
2010/05/29
2010/05/05
追悼・井上ひさし氏・父と暮せば
作家の井上ひさし氏が4月9日に死去されて、約一ヶ月が経とうとしています
75歳はまだまだお若い・・
井上ひさし氏
多方面で活躍される一方、平和や戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表され、2004年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立しています
私たちの舞台公演活動でも、2006年に彼の平和に対する想いである戯曲「父と暮らせば」を上演させていただきました
原爆投下後の広島を舞台にした二人芝居・・
人類史上最悪の暴力と向き合う、亡霊の父と1人生き残ってしまった娘の切実な対話
その重いテーマを独特の切り口で描いて見せた作品ですが、でも時折見せるその明るい言葉・台詞に、演じる側、観る側が、厳しい想いながらも救われていました
「あの地獄を知っていながら「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである」と伝える井上ひさし氏
その伝えることの微々たる部分でもお手伝いができたことは、本当に幸せなことだと、筆者は今改めて想います
まだまだ新しい作品がでてくる・・
とばかり思っていただけに、その突然の死去は大変に残念
謹んで哀悼の意を表します
※舞台公演・共に生きる・・2006年の公演時のパンフレット
Post by hide
75歳はまだまだお若い・・
井上ひさし氏
多方面で活躍される一方、平和や戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表され、2004年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立しています
私たちの舞台公演活動でも、2006年に彼の平和に対する想いである戯曲「父と暮らせば」を上演させていただきました
原爆投下後の広島を舞台にした二人芝居・・
人類史上最悪の暴力と向き合う、亡霊の父と1人生き残ってしまった娘の切実な対話
その重いテーマを独特の切り口で描いて見せた作品ですが、でも時折見せるその明るい言葉・台詞に、演じる側、観る側が、厳しい想いながらも救われていました
「あの地獄を知っていながら「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである」と伝える井上ひさし氏
その伝えることの微々たる部分でもお手伝いができたことは、本当に幸せなことだと、筆者は今改めて想います
まだまだ新しい作品がでてくる・・
とばかり思っていただけに、その突然の死去は大変に残念
謹んで哀悼の意を表します
※舞台公演・共に生きる・・2006年の公演時のパンフレット
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