2011/12/17

仲間が次々被災地へ

6/24,25 目黒昭彦さん(宮城・荒浜地区)ヘドロのかき出し
7/28-31 成田淑子さん(岩手気仙沼鹿折本吉地区)
友人の車で23時大泉学園を出発。現地翌朝6時到着。
車で10-15分の寺でフリーマーケット形式の支援物資炊き出し(カレー・ピーマンマグロづめ)
ボランティア用の布団の整理
8/19 富居博典さん(宮城)内勤後をバスを乗り継ぎ石巻へ
8/26-29目黒昭彦さん、下田隆彦さん、真奉くん、祐治くん(宮城)
ヘドロのかき出し
9/10-11 私(岩手・大船渡)
夜行バスで朝5時半着。大津波で壊滅した漁業市場や家々を目の当たりに。半年経った跡地にコスモス

$舞台公演「共に生きる」-1


東海新聞朝刊:震災から6ヶ月。亡くなられた方々、行方不明の方々の名前がびっしり。この中に、この日訪ねた教会の信徒の方々の名前も。
18歳の双子の可愛らしいお嬢さんとそのお母さん、他。

$舞台公演「共に生きる」-2


国内、外国から来るボランティアを受け入れている教会の壁には隙間なく寄せ書きなどが。

$舞台公演「共に生きる」-3


6月中旬、宮城で一緒にボランティアした方と感激の再会!

$舞台公演「共に生きる」-4


訪ねた教会の村谷正人牧師と

$舞台公演「共に生きる」-5


9/11 藤枝直城さん 出演する舞台でTシャツの売上一部を被災地に寄付
9/23-24 下田隆彦、順子夫妻、須賀良子(ながこ)さん、鎌田史子さん、私(宮城・荒浜地区)

$舞台公演「共に生きる」-6


大津波が襲った家の修復・
40名ほどの学生、若者の頼もしいこと! 皆、泥だらけになりながら一生懸命働く姿にこちらも奮起!!
作業の合間の休憩

$舞台公演「共に生きる」-8


ヘドロで汚れた床板を洗っています。

$舞台公演「共に生きる」-7


8/7 「クラスター爆弾禁止条約発行一周年記念」築地本願寺:松浦圭子さんと私
9/19 「さようなら原発集会・パレード」明治公園~代々木公園
千葉雅子さん、目黒昭彦さん、私。ユーチューブで映像が見られます。

$舞台公演「共に生きる」-9

(目黒恵子)

9/23・24の連休に、妻と2人で仙台七郷でのワークに参加させて頂きました。今回は、8月末に息子2人と一緒に来たのに続いて2回目となります。
木曜の仕事を終えて、新宿発の夜行バスに乗り一路仙台へ。早朝6時に仙台駅前到着。ネットカフェで小休憩後、駅にほど近いセンターエマオで登録。
ワーク地、七郷での活動の後、ボランティア参加者のためにエマオが用意してくれた近くのアパートで寝袋一泊。
翌日1日のワークをした後同じ夜行バスで帰京。2~3時間休んで、いつものように聖日礼拝。強行スケジュールのように見えるが、感想は「今度も楽しかった」です!
午前、午後泥を掘り出したり、庭石を運んだりで汗をかいた後、自転車に乗って50分程の道をエマオに帰る道、仙台のきれいな空気の中、さわやかな風に吹かれながら「やるべきことをした」という達成感と、これから銭湯に入ってさっぱりして、夜のおいしい仙台名物の牛タンも楽しみです。
仕事のことを綺麗に忘れて励んだ筋肉労働が出来る時間は、私にとって、心身ともにリフレッシュ休暇です。
しっかりした受け入れ態勢を準備してくださっているエマオのスタッフの方々、また被災地でのボランティア活動の意義と楽しさを証とともに紹介して下さり、今回も行き届いた配慮をしてくださった同じ教会の目黒恵子さんに、心から感謝しています。

$舞台公演「共に生きる」-0

(2011年10月1日 東京若枝教会 下田隆彦)

この度(9/23~24)、エマオでお世話になりました下田順子です。
8月末に主人(下田隆彦)、真奉(まさとも・長男)、祐治(ゆうじ・四男)がお世話になり、帰ってきた四男が「母も、絶対仙台に行ったほうが良い」とすすめるので、重い腰を上げて参加しました。
この度の被災地へのボランティアは初めてです。一日の始まりに、円陣を組み手をにぎりながら、心を合わせた祈りは、私の思いや行ないを主によってきよめられ、心ひとつにされる幸いな時で大変恵まれました。
七郷までの自転車での45分程の途上も、被災地のありのままの現在の姿を見ることができ、又、素晴らしい仙台の方々の人柄に触れることが出来、秋空の下、すがすがしく心洗われる時でした。
若い方々が、本当に、積極的に行動し、喜んで機敏に動く姿は見ていてとても気持ちよく、感動的でした。
私自身も、ともに労させて頂いた方々と、新しい出会いを与えられ、楽しい時でした。
エマオの被災者支援のスピリットである「寄り添う」という事も新しく私に与えられた課題となりました。
願わくば、時間と財が備えられ、まだ参加されていない方々と一緒に、再度、伺いたいと思います。
エマオのスタッフの方々の上に主の祝福と、被災地の方々の上に心よりお祈りしています。

$舞台公演「共に生きる」-6

(2011.10.2 東京若枝教会 下田順子)

2011/08/06

66年目の「原爆の日」

原爆投下直後の昭和23年の広島を描いた『父と暮せば』・・

井上ひさしさんの戯曲で、2004年に亡き黒木和雄監督により映画化され、先日亡くなった原田芳雄さんが父「竹造(亡霊)」の役。

井上ひさしさんの独特の台詞の中に、死んでいった人たちだけではなく、生き残ったことへの負い目に苦しみながら、息を殺すようにひっそりと暮している状況が、悲惨さを拡大しています。


「平和」と叫ぶことはとても大切ですが、私たちの中で「平和」をどう具体的に考えて行くのか・・
3.11のこと、原発のことも合わせて、改めて想う8月6日の朝です。


※私たちも2006年に『父と暮せば』を公演させて頂きました。

鈴木

2011/07/26

被災地での活動支援そのⅠ

2011年6月17日(金) 
19時までの仕事を終えて23時40分東京駅発高速バスに乗り込み仙台へ(ドキドキ)
$舞台公演「共に生きる」


翌日8時半からの打ち合わせ前  
私の右隣の女性は、高尾からの初参加者で幼稚園の先生、その右隣の女性は関西から。男性は、かなり長い滞在でワークに参加されたベテラン。
$舞台公演「共に生きる」


支援センター隣の教会前から自転車で被災者宅へ移動です。(再びドッキドキ)
さぁ、片道14キロに挑戦!10分ほど走ると何事も無かったような仙台市内から一変、陥没した道路、戦場のような光景が延々と続きます。
$舞台公演「共に生きる」


一日の作業を終えてセンターに戻ってから「ただいまー」
$舞台公演「共に生きる」


この日の中心の作業は、ヘドロ撤去&ビニルハウスの解体・組み立て。
戻ってから、バレエストレッチで酷使した身体をほぐし心もリラックス~♪

「作業写真は、被災者の気持ちを察して撮らないこと」というセンターからの注意がありましたので現場の写真はありません。
でも、「エマオ」で検索していただくとブログには写真がありますので、そちらをご覧下さい。
被災地に行ってナマで見るのが一番解かりますので、活動の参加は出来ないという方は是非、状況を見に行くだけでも!!

今回バスの手配は、藤枝直城さんが引き受けてくださり助かりました。

リポートは目黒恵子でした

2011年6月11日(土) 「反原発集会・デモ行進」に参加しました

東京港区芝公園集合での決起集会後に7キロ行進(4000人以上)
東京駅前に丁度、大勢の修学旅行の中学生が!
われら行進者は一斉に「あなたたちを守るために歩いてるんですー!!」と
彼らの目を見ながら叫ぶと、手を振って応えてくれたり、引率の先生が
こちらに向けて写真を撮ったり・・・

3月11日の東日本大震災では、天災の津波・人災の原発事故が発生。
原発の事故に思うことは多くあります。
震災後4ヵ月半過ぎた今も尚、右往左往している日本の政府、
政府(国)を動かすことができる国民の多くが未だに無関心で声を挙げない為に
状況が変わらない!
責任は我々にもあるということを痛感する日々です。
「あの時何もしなかった・・と後悔したくないから行動しています」とある人が言ってました

舞台公演「共に生きる」 舞台公演「共に生きる」


見よ!!「脱原発!」のはちまきをした猫のこのコワい顔を
(この猫さまも歩き通しました、スゴイ! 銀座をフラフラ歩いてる人間よりずっとマシです)

沖縄の基地問題も含めて、
今の状況に2年前の「共に生きる 公演」~未来からの伝言~が重なります。

護憲おばさんのセリフ
「軍隊が国民を守ってくれないとこ見ちゃったのよ!
わたし、満州にいたのよ、今の中国の東北部だわ。
1932年から日本が占領して、満州国ってのをつくってたの。
それがさ、1945年に日本が太平洋戦争に負けたでしょ、
そしたら、日本の軍隊が関東軍っていうんだけどね、
それが真っ先に逃げ出しちゃったのよ、ソ連が攻め込んでくるってんで。
満州の日本人置き去りだったのよ」


この場をお借りして、護憲おばさんを演じてくださった宮川清子さんは今年4月に亡くなりました。
きっと、天国でも「憲法改悪はんた~い!」と活動していらっしゃるのでしょうね、とは20代の共演者の言葉です。

目黒恵子

2011/07/05

いわきでのボランティア

5月28日(土)物資配布と昼食提供のボランティアを行って参りました。
小雨が降ったりやんだりを繰り返す天気でした。

当初、公園にて行う予定でしたが、雨の為、カトリックいわき教会に、場所を提供頂きました。

12時配布開始というなか、並んで待つ方々も多くいらっしゃいました。
オムツ一つをあげても、サイズや型の問題といろいろあり、ニーズは多様化していると実感しました。
津波の被害は無い地域でしたが、風評被害にあっている方もいらしたようです。


私は教団の須賀川シオンの丘に前泊いたしました。
地震の影響により、宿泊棟が少し傾いていました。玄関がきちんとしまらなくなってしまったり、
押入れの開閉が苦労するという状況でした。
郡山に近い為、いわき市よりも放射線量が少し高く、教会員のご近所の方が孫を連れて
引越してしまった。我々はどうしようか? と話をする と話してくださったご婦人がいらっしゃいました。
貴重な体験をして来れたこと感謝です。

夏にも青年向けのキャンプが計画されているようなので、参加可能であればまた、伺いたいと考えています。


矢吹 愛美

舞台公演「共に生きる」

舞台公演「共に生きる」

2011/04/16

3.11

この度の東日本大震災に被災されました皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧を心からお祈り申し上げます。


ワケありで一度降り立ったその土地は、素朴で海の香り漂う忘れられない場所の一つだった。

舞台公演「共に生きる」

この海辺━ 2011年3月11日の豹変で大勢の人たちの人生が狂った。
私がその一人だったら何を望むのだろう。

舞台公演「共に生きる」

2011/01/07

佐々木利江 & 岡田げん ラテンジャズライブ

2010年12月29日
『佐々木利江&岡田げんラテンジャズライブ』
於:つくばバプテスト教会
収益の一部をJCBLに寄付してくださいました

舞台公演「共に生きる」

舞台公演「共に生きる」


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沖縄での記録写真

11月27日~29日初沖縄での記録写真です

沖縄はじめ岩国など基地を抱えてる所の問題を痛切に感じた強行スケジュール

尚、今回の素晴らしいプランニングは、白鳥の会の森下匡子さんが作成してくれました
皆さんも都合をつけて一度は行って下さい




舞台公演「共に生きる」

舞台公演「共に生きる」

11月28日(日)21時過ぎ 沖縄県知事選の報道室にて
「関係者以外立ち入り禁止」状態、関係者として撮影
各TV局・記者などでヒジョーに緊迫した空気漂う報道室にこちらも緊張で足がガクガク



舞台公演「共に生きる」

下のテントの中に掲示されている記事・ポスターなどの1枚
我が家のニャンコそっくりのネコも「反対表明」です



舞台公演「共に生きる」

此処がよく聞く「辺野古での座りこみ」
左からガイド&ドライバーをして下さった志真志(しまし)伝道所の望月智牧師、わたくし、白鳥の会の千葉雅子さん、座りこみ代表の安次富 浩(あしとみひろし)氏・「海上ヘリ基地反対・平和と名護市政民主化を求める協議会代表委員」
あじとみ氏はTVにもよく出る方です



舞台公演「共に生きる」

嘉手納基地(かでな)
4000メートルの滑走路



舞台公演「共に生きる」

左が基地のフェンス(バラ線)右は小学校
何が言いたいのか解かりますか?基地と小学校の境がこんなに隣接しているということの
危険性、騒音・・体験してみて下さい!!



舞台公演「共に生きる」

沖縄現地では、どの新聞も選挙の報道がこんなに大きく掲載されてました



$舞台公演「共に生きる」

志真志(しまし)伝道所・礼拝後に



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